「平日の昼間っからヨガやピラティスをやっている」
イコール「無職」のイメージ
平日の昼間っからヨガやピラティスやっている人は、「平日休みの職業の人」ではないというのが悲しい現実。
逆に考えてみればわかるじゃないか。
我々は貴重な土日に、昼間っからヨガやピラティスをやっている時間があるかい?
配偶者が無職というのは、かなりきついんじゃないかと思います。
家事は手を抜いても死なないし、育児は保育という受け皿があります。
(さらに言うと、職があっても家事も育児もやるんですが)
でも、お金がないとカナーリ死ぬ。
我が家は夫婦共働きですが、財政状況については常に「油断できねえな」の一言に尽きます。
なんかね、家計がヒリヒリしてるの(爆)。
それでもまだまだ、配偶者が無職というご家庭は多いですね…。
配偶者が無職だとしたら、夫婦のどっちかが「ものすごい稼ぎがいい」とかじゃないと、現代日本で「ふつう」と呼ばれ求められている生活水準はクリアできません。
そういう個々の家計状況をおいといたとしても、無職はバッシング対象です。
さまざまな社会的な理由があるバッシング対象です。
あんまり正当性のない理由で無職でプラプラしてるんだったら、基本的人権を一部剥奪(無職税の課税=控除の廃止とか)してもよろしいんじゃないでしょうか。
といいつつも、我々経産婦に「もれなくマトモな仕事がもらえるのか?」というと、そんなことはない。
ここが難しくて、例えば10年・15年とかの昔に出産を経験した人は、仕事をやめさせられるのが当たり前でした。
その先に行きつくは、職を得ぬままのヨガ・ピラティスか、それとも再就職か?
現代のレ・ミゼラブル?
一方で、「子どもに教育を受けさせる義務」というのもあります。
「子どもに教育を受けさせる義務」の前提として「子どもがいる」ということになっちゃってますが、全員子どもを持つかというと、そうではない。
「ざんねんながら不妊」ということではなく。
そう、「ボサッっとしてたら生殖機能がタイムアウトした」「誰にも結婚してもらえなかった」という人がけっこう多い。
ここでも、基本的人権を一部剥奪してもよろしいんじゃないか(年金の一部減額とか)と思いつつ……
社会がなぜこのような状況を生み出したのか、よくよく考えなければならないなと思いました。
これまた10年・15年とかの昔は、子どもを産んだら仕事をやめさせられるのが当たり前でした。
「無職にさせられた」、
「子どもをつくることがよしとされなかった」、
ひいては
「再就職しようとしても、就職活動中では点数が低くて保育園/学童に入れない」
というところに、いまだ根深き問題が残っているように思われます。
「再就職できます!」
「安心して子ども産んでください!」
という世の中だったら、グレて平日の昼間っからヨガやピラティスをあたかも宗教儀式のように海岸へやりに行っちゃう人(注)とか、減ると思うのです。
注:湘南海岸ではこのような光景がフツーに見られます。
午前中とか、特に。