
目下、奨学金破産の話題がホットでもあり、大学へ行く意義が再度問われています。
駄菓子菓子、
「若者の数は減っているけれど、大学進学率はまだ上げる」
というのが、日本の計画です。
本当に大学へ行く必要があるのでしょうか?
文系低ランク大学や旧世紀に流行した短大などは「バカ製造工場」といっても過言ではない状態ではないですか。
やっぱり世の中には、「大量の人間が大学行く必要はない」という意見も多くあります。
「企業はなぜ高卒を採用しようとしないのか?
高卒を採用することで無用な進学はなくなる」
という提言もあって、これは実に胸に迫るものでした。
そうだよね。
大学でなくてもきちんとした職につけて稼げるんだったら、別にいいはずだよね。
ところがどっこい。
我々はさまざまなところで、
「大学に行けない」
イコール
「学歴・所得の因果関係で負の連鎖」
なる、ストレートフラッシュを刷り込まれています。
ああ、刷り込まれてる。チョー刷り込まれてる。
うーん。
まあたしかに、世の中でいう5段階評価で「5」の人(上位20%)しか大学に行けなかった時代なら、「高学歴=高所得」という実績が測定できたのかもしれませんが……
現代って、大学進学率50%超えてんじゃんね。
世の中の50%に高学歴・高所得を約束する社会って、あり得ない。
評点2.5に、高学歴・高所得って、おかしいですよ。
となると、大学の中でもとりわけ「いい大学」であるところ限定の話だったら、なるへそなわけです。
そう、「評点5の人=高学歴=高所得」って感じに。
結局のところ、「評点5の人=高学歴=高所得」が目指すところとなって、「学歴・所得の因果関係で負の連鎖」を断ち切りたいのなら「評点5が必要」なのですね、きっと。
「大卒=負の連鎖を断ち切る手段」にはならなくて、
「評点5未満は所詮パンピー。大学行かなくても同じ」という考えが浸透すれば、
我々庶民の家計も「教育費」が減って生活が多少楽になるのだと思いますよ。
思いますけど、みんなが「大学行かせたい・行きたい」っていう、集団詐欺とも集団催眠ともつかない情報統制下の焦燥感に駆られています。
大学進学率50%超えって、かなり残酷な数値。
ここで50%超えに入らなかったら、すごく傷つくじゃん。
それが金銭的なものでも、勉強の出来でも。
入ったところで将来を約束されることもないのだから、やっぱり傷つくじゃん。
大学大学っていうけれど、所詮は評点2.5以上というゆるゆるの世界なのですから、そんなものが高学歴なわけがないのですよ。
ただ単に大学を目標とするよりも、この国は職業的なプロフェッショナルをもっと増やすべきだと思う。
企業で鍛えるんでもいいし、それこそ大学をつぶせないというのなら大学が専門職の育成機関であってもいいです。
意味のない講義やってちゃ、ダメ。
「実質、大学=フラフラするところ。それでもみんなが行きたがっているところ」になってる現況、よくないですよ。
この流れ、いつ変わる?