子どもが病気になったときに老親(祖母)が子どもを見てくれてる率が、よそで、高い。
すごいなって、思う。
やっぱ、「病気の子どもを預ける」って、本来の病児シッター料金を考えれば大変なことですよ。
ちなみにお値段の相場は、1日で1万5千円です。
こんな金額の労働を、老親が肩代わりする?って、すごいな。
病児シッター料金だって、シッター側にしてみれば、やみくもに高く設定しているわけじゃないです。
時給換算で、1,500円。
フルタイムなら1日で10時間は預けるでしょうから、1万5千円じゃないと託児できないってことですってば。(それでも9時間拘束+移動往復1時間っぽっち)
我々、既に保育料をバンバン払ってるのに、行政が用意する病児サービスが全然ないじゃないですか。
んでもって、私的な病児シッターの料金は利用者にとってメチャ高い。
駄菓子菓子、そんな事情とは関係なしに、子どもはバリバリに熱出して、嘔吐して、下痢するわけですよ。
この社会状況、完全に親(祖母)をアテにしてますよね。
日本の十八番である「女性の無償労働に頼り切った社会システム」が、病児保育が発展していない原因なんだろうなー、と。
昭和の時代から、「女性ノ無償労働ヲ禁ズ」なる明文があれば、病児保育事情がもっといいはずなんですよねー。
それこそ、子どもが熱を出した時に絶望で精神を病むワーママや、雇止めされるワーママは、いなかったはず。
私の親は、「病気の子どもを預かって看病する」とか「しばしば子どもを預かって面倒を見る」とか、しません。
産前も産後も、育児に協力してくれるなどと言われたことも、ありません。
まー、親、ヒマじゃないし。
働いてるっつーか、自営業に定年はないので、今後も育児にタッグマッチで協力してくれるということもないですね。
ちなみに、休日も全く合いません。
でも、別にいいです。
こんな家庭はうちだけではないし。
親を頼れない共働き家庭なんて、掃いて捨てるほどありますよ。
大丈夫、大丈夫。
縄文時代だったら、たぶん自分らの親の世代なんかフツーに死んでるし。
私も死んでるし(爆)。
でも、うちの親は、「育児で頼れない」と、前もってよ~くわかっていたので、良かったですよ。
さんざん
「頼っていいのよ!何でも任せて!」
と言っといて、いざというときに知らんふりされるよりは全然マシ。
うちの親は、たまに時間ができると食べ物の差し入れをくれることがあります。
実にありがたいことです。
それでもう、十分。
私はもう、小売価格の高騰で食費ダメージがひどく、精神がボロボロなのですよ。
真剣に悩む横から、夫が買い物かごに勝手に高い物を入れてきたりする日は、これもう殺人事件かと。
そんなときに食べ物の差し入れが来ると、今度は六地蔵かと!
傘かぶせてないけど、食べ物GETです。
食べ物は、ないと、死にますし、栄養が足りないと病気になりますからね~。
まーともかく。
近い未来に「女性の無償労働に頼り切った社会システム」から脱却できていて、我々の子どもたちが当たり前のように病児保育を利用できているか、もしくは、職場に気兼ねすることなく看病の休暇が取れるようになっていればいいですね。
高齢出産した元ワーママたちが、高齢出産した娘たちの子「孫」の世話で過労死しませんように。