人種差別問題について大きな功績を遺した「キング牧師」が暗殺されてから50年、ということで、新聞に特集が組まれていました。
それによると…
<アメリカ社会の年収格差(日本円換算)>
白人:650万円
黒人:376万円
その差、274万円です。
おっと、これにはある種の親近感を感じないだろうか。
そう。
<日本社会の男女年収格差(50~54歳の場合)>
男性:656万円
女性:291万円
その差、365万円です。
あ、ごめん、ある種の親近感というより、もっと格差広かったわ(爆)。
(人種・性別・年代でみると、さらに近しいところがあるかもしれない)
まーこういう話題になると、必ず次のような人が出てきます。
「黒人でも大統領になった人がいるではないか」
「女性でも国民栄誉賞をもらった人がいるではないか」
「「よって、結果が伴っていないのは、本人の努力不足だ」」
もちろん、言ってくるのは大統領でもなく、国民栄誉賞とも何ら関係のない人。
なんかもう、10代でオリンピックに行った選手を引き合いに出して子どもを糾弾しているそこの親、お前自身は葛西選手と比べてどうなんだ?と同義の感じです。
たいていのオッサン・オバハンはレジェンド葛西ではないし、そもそも10代のころにオリンピックへ行っていない。
だから、オリンピック選手を引き合いに出して子どもをいじめてはいけないと思うぞ。
んで、格差の話。
白人と黒人、そして、男性と女性の収入格差というのは、「順当に生きてきた結果によるもの」です。
そう。順当に生きていくとそうなってしまうという、いわゆるハンディキャップのある状態。
それを「本人の努力不足だ」というのはやっぱりおかしいと思うのですが、格差のあるところの「高収入で恵まれたほうのポジション」の人たちは、「自分たちの努力でこうなってるんだからな!」と息巻いています。
お前ら、フツーに生きてきただけでそうなってんのに、自分の手柄みたいに言うな。
我々の今ある状況も、順当に生きてきた結果です。
その結果が、格差のあるところの「低収入でダメなほうのポジション」です。
世界のあらゆるところに格差はありますが、日本人女性の多くは、同じくして「低収入でダメなほうのポジション」の人の気持ちを、理解しやすいのではないかと思います。
もしかして、何かの拍子でその精神が役に立つときが来るかもしれないな!
と、キング牧師のニュースを見ながら感慨に浸ったのであります。