「若いうちの苦労は買ってでもしろ」は、もう古い
私、今年になって気がついたことがありまして。
貴様、立派なババァのくせにいつまで若いつもりだ?
と。
「若いうちの苦労は買ってでもしろ」って言葉があるじゃないですか。
日本人て、こういう苦行・苦役の習慣が根付いてそうですよねー。
というか、もちろん私にも根付いていました。
楽しくないことを頑張ろうとしてしまった瞬間に、改めてこの言葉を字面を眺めてみて、思いましたぜ。
「若くないのになんで苦労を買おうとしてんのかな、たわけ者だな」と。
素直に考えると、苦労を美徳にしていいのは若者である
少なくとも10代の頃から、我々は「苦労しろ」と言われ続けてきたわけで。
学校はもちろんのこと、仕事になったら残業・休出当たり前、プライベートの時間も削って勉強、苦行・苦役。
日本は超高齢社会なもんで、人口構造的に中心年代がブリバリ上がっていくもんで、「若い」と言われる期間がすご〜〜〜く長いんですよね。
でもさ、流石にこの年になったら、絶対値として若くないでしょ。
シルバー民主主義ニッポンだから、相対的にはいつまでも周りから
「あなたは若い」「キミらは若手」
って、呪いのように言われ続けちゃうんですけど。
海外の、たとえばウクライナやパレスチナの市民のインタビューを目にすると、年齢記載が若くてビビる。
でも本当は、コレが普通のはず。
日本の平均年齢が高すぎるのです。
転機だぞ、2024年
そんな「買ってでもする苦労シリーズ」、そろそろ購入を終了しようかと思います。
今年になってから苦役が立ち上がったときにフト気がついたんですよ。
「いけない、また楽しくないことを頑張ろうとしている!」ってね。
んでもって、若くないのに苦労を買おうとしているなんざ、「貴様、立派なババァのくせにいつまで若いつもりだ?」と。
みっともない。
残りの人生を考えると、「若者ではありません」としっかりと自覚して、年相応に生きていきたいです。
間違って若者気分でいると、本物の若者に迷惑かけちゃうし、老害街道まっしぐらです。