取説は「あるだけでありがたい」という仏像か何かみたいな話
しばらく前に、『「分かりやすい表現」の技術 新装版 意図を正しく伝えるための16のルール (ブルーバックス) [ 藤沢 晃治 ]』という本を読みまして。
いい本です。
趣旨としては、いわゆる「取扱説明書」に代表される「わかりにくい文章」を「分かりやすい表現にしよう!」というもの。
マニュアルや取扱説明書に対する日本企業の姿勢について、作中で「尊ぶべきわかりやすい説明が、いかに軽視されているか」が語られています。
実際、私自身も強く感じているのは、「マニュアルは、あるだけでありがたいものだ」という実態です。
読む側がわかりやすいということよりも、まず「ある」ということ。
日本の労働環境においては、「この世に存在する」ということでもう精一杯であるように思います。
これは、情報の受け手にとっては不親切なのですが、仕方がありません。
実際に「ある」だけで超ありがたがれた
かつて私が所属していた職場で、上司の提案により「ちょっとした業務でもマニュアルとして残そう」という取り組みがありました。
「あると便利」な情報を、とにかく些細なものからビッグなものまで、文書で保存 → 共有 ということをやりました。
ごほうびつき企画だったため、当時のメンバーは比較的良いノリでこなしていたように思います。
結果的にその資料群は、課外・部外の人たちからも重宝され、「これは助かる!」と多くの場面で活用されました。
うん。
文書化されているというだけで、その仕事が必要な人は誰でも、簡単に、手順通りにやればokという状態になるのです。
実に基本的なことですが、業務の円滑化に大きく貢献するのです。
「体裁の美しさよりも、まず“ある”ことが重要だ!」という方向性でしたので、所々に感嘆符や砕けたフレーズ、おちゃめな記号が登場するようなものだったのですが……。
それでも、「やり方が書いてあること自体が貴重」ということで、良き文化として浸透していきました。
現在は違う仕事をしておりますが、ノウハウの記録と共有の活動は、細々と続けております。
終身雇用の日本式「マニュアル軽視」と、人が変わる前提のアメリカ式文書管理
現在の仕事仲間に、アメリカの文書管理に詳しい方がいます。
その方が教えてくれたのは
「米国企業では、人の入れ替わりを前提として、業務の文書管理が行われている。
誰が担当になっても仕事が回るようにするために」
ということ。
なるほどです!
日本企業はまだまだ終身雇用や長期的な人事配置を前提としているため、引き継ぎや文書化が軽視されがちです。
その結果、「OJTだなんだで伝えればいい」という風潮が色濃い。
駄菓子菓子、どうせOJTで時間を割くのなら、
- いっそ簡単なことは誰が読んでも理解できる文書でちゃっちゃと済ませる
- 大事なことにOJTの時間を使う
べきではないでしょうか。
どうせなら、文書にできないビミョーなラインのケース別判断や、応用部分、最新の取り組みに注力したいですよね。
「いいものを作るには時間が必要」は真実なのだから、軽視するな
で、そんな感じの「みんながやることの文書化」だったり、さらには冒頭でご紹介した本の「わかりやすい資料作り」だったりするのですが。
「いいものを作るには、それなりの時間と検討が必要」です。
労働環境に身をおいていると、「急いでやって」「とりあえずでいいから」と言われることが多々、まじで多々あります。
その姿勢が結局、文書化しないとか、伝わらない・使えない資料を生んでしまうということになるじゃぁありませんか。
「ちゃんと作る時間をもらってこそ、作れる」というのが大前提です。
先にご紹介した「あるだけでありがたがれた仏像みたいなマニュアル集」も、上司が「これは大切なものだから、作る時間をとって作ってね!」という方針だったからできたのです。
このことを理解せずに、
「時間は与えないが、やれ。そしてレベルの高いものをもってこい」
という指示を出す方が、労働現場には非常に多いです。
昔よりも今のほうが、むしろ人手不足になっていて、拍車がかかっているのではないでしょうか?
大切なものを軽視する姿勢は、いけません。