仕事中に家族のことが頭から離れないのを消滅させて集中力を爆上げしたいが、仏の教えに学ぶといいのだろうか?
仕事中、けっこう家族のことで時間を使ってしまっています。
オフィスに拘束されるタイプの会社員だと出勤中は家族のことを何もできないから「自営業で良かったじゃん」とも言えるのですが……
逆に「仕事中だから完全に無視してやるぜ!」が通用しない。
かなり、集中が細切れになります。
集中って大事です。
集中力をバシルーラでぶっとばされると、貴重な仕事時間の効率がダダ下りになってしまい、時間が虚しく溶けていく……。
ということが、2025年の前半の大きな課題となっております。
今週のお題「上半期ふりかえり2025」
集中力泥棒の元を断つことはできないという前提でスタートしよう
そもそもで「ちゃんとしてくれ」が通用しないからこのような自体になっておりますため、集中力泥棒の元を断つことはできないという前提で検討することにしました。
んで、とりあえずブッダの教え的な本を読んだりするとですねー
結果としては、「無視しろ」的な対応が推奨されています。
それでいいんだっけ……?
……という疑念は生まれましたが、仏様のありがたい教えに比べれば、私の主観など足元にも及ばないのです。
もう一度「無視しろ」という作戦を見つめ直すと、タイパを取って冷酷に接することも必要かな、とは思えてきました。
仕事中に家族の心配をしても、残念ながら状況は改善しないことのほうが多かったのです。
うん、「ちゃんとして欲しい」ということで懸命に対策しても、事態は好転しないのです。
家族の心配をしても世話を焼いても、結局意味がない?
ということで、ブッダの教えに照らし合わせると、「家族の世話をやくこと」はかなり不毛です。
「目の前のこと(自分のためのこと)に集中せず、あれこれと心を乱す執着は、新たな苦しみを生む」と解釈されており、家族の心配みたいなものについては「妄想」と分類されているのですが、これは現代社会の道徳観に照らし合わせるとかなり思い切った気持ちの転換が必要。
「世話してやらなきゃならない」という気持ちが、単なる我々の妄想ということになっているのですから。
これを「不毛な妄想の習慣」として「早く抜け出しましょう!」と説いてくる仏の教え、なかなかにアグレッシブです。
見習いたい。
ポテトチップスを食うことに代表される「快を得る」というものを、制限しないどころか助長するところも、すげえ。
もう十分頑張ったから一人で生きていきたいという考え方
もともと一人が好きなので「ひとりになりたい」という気持ちはあるのですが、ワーママの多くにも「ひとりになりたい」というお気持ちがあると思われます。
「ひとりになりたい」は、仏の教え的には「アリ」。
駄菓子菓子、日本社会で求められている家族のカタチとしては「ダメ」ってことになっってます。