「とてつもないばあさまがいる」から始まった、老人介護施設(宅老所/託老所)の話。
書いたのは、介護とは関係のないジャンルで仕事をしていたプーの編集者。
だからこそ、ひねた視点のこんないい本になったんだと思う。
p172~
ぼけた人を邪魔にする社会は、遅かれ早かれ、ぼけない人も邪魔にし始める社会だ。
用済みの役立たずとして。あるいは国力を下げる穀つぶしとして。
どれだけ予防に励んでも無駄だ。
わたしはぼけていない、話が違うじゃないかと泣き叫んでも無駄だ。
じゃあそのおぼつかない足腰はなんだ。
ろくに見えないその目はなんだ。
まともに働けないその体はなんだ。
ばかなやつだ。ただ「ぼけてない」だけじゃないか。
そんなもんはなぁ、俺たちからしてみりゃ、五十歩百歩の違いでしかないんだよと。
そして肩をぽんと叩かれてこう言われるのだ。
こんな街の中にいたってしょうがないだろう。
どっか隅のほうに姿を消してみないか。
それがこのため孫のため、ひいてはお国のためってやつだよと。
p189
要約)
老人はどんどん増える。
施設をいくら立てても間に合わない。働き手、つまり給料の安い介護職になろうなんて人がいないから。
誰かに肩代わりさせたいと思っても、そうはいかない。
p226
要約)
建築業界には、東京オリンピック特需という事件が起きている。
原材料価格の高騰で、建築費1~2億円程度の特養(特別養護老人ホーム)から、東日本大震災被災地の復興まで、多くの影響が出ている。
我々の年代だと、この超高齢社会という大問題から目をそむけている人が、過半数以上。
たとえば夫に、
「自分の親の介護についてどう考えているか?」
と訊いても、知らん顔。
私はこの先、おおむね2025年までに、シンガポール方向の政策にシフトすることにすごく期待をしています。
個人レベルの問題としても、自分の親に対して、「とりあえず延命」のようなメニューはオーダーしたくないと思っています。
皆さんはどうでしょうか?
近所の高齢者のこととか、自分の親のこと。
この「へろへろ」という本のように、腐れ縁で特養の支援者になって、要介護老人集団と付き合えますか?
私にはできないけれど、こういうことをしている人たちが、いる。