いつから日本人は心を入れ替えたのだろうか?
最近もらったお菓子の箱という箱に、つぶしやすさの工夫(指で押すミシン目部分)画ついていて、ビックリです。
親切すぎる設計。
スーパーで売っている、一般的な紙箱入りお菓子です。
今週のお題「大発見」
外国のお菓子では見たことがない。
業務スーパーで買った海外お菓子の箱は、「コンチクショウ!」と思いながら、接着剤を剥がして捨てるのです。
はやや。
そんな日本の伝統衣類「着物」は、まったくもって不親切
着物というのは根本的に、
「作る方はラクしたいから、各自で毎日頑張ってちょうだい」
という文化です。
人間(マンパワー)で、なんとかしろと。
「反物という材料を無駄にしない」といえば聞こえはいいのですが、使用者に負担を転嫁しているだけなのです。
他の産業の商品だったら、許されないでしょ〜、コレ。
菓子箱ひとつとっても、潰しやすくなければ文句を言われる。
カレーのレトルトだって、電子レンジでチンできないものが淘汰されるのは時間の問題です。
私は着物の「毎日マンパワーで解決しろ」という姿勢に疑問を感じるので、容赦なく、着やすいように改造します(爆)。
そういえば米・食糧もそうだ
昔のことを考えても、東南アジアで水牛が農耕に大きく貢献している最中だって、日本では人間がバンバカ田植えをしていたわけで。
一応は労働牛もちょっとはいたようなのですが、マンパワー酷使のほうが後世に伝わっています。
ベトナムなんか、今だって水牛角のスプーンがお土産の定番というくらいに水牛を愛して活用しているのに。
日本、マジで牛の労働がちょっとしか普及しなかったんだなー、としみじみしています。
「便利な技術を利用して、効率的にやろう!」というお菓子箱みたいな文化もあれば、着物のような「マンパワーによる気合と根性」もあります。
マンパワーによる気合と根性、お仕事シーンで、いっぱいあるよね……。