先日、ミーティング中に泣きそうになりました。
いじめとかではないでごわす。
あのですねー…
無事に保育園が決まって復職できた人に、育休中から来てくれた派遣さんが挨拶をしてくれたんですよ。
その際に、その派遣さんから
「自分は一度働くことを断念せざるを得なかったのですが」
という紹介の一節がありまして。
和やかな雰囲気での話の中で、ほんの一節だったのですが、胸が詰まりましたよ…。
ミーティング中に泣きそうになりましたよ…。
その派遣さんは我々よりも少しお姉さんで、そうすると時代の境目として、「子どもができると、女性は仕事をやめるのが当たり前」という時期があったではないですか。
本人のキャリア継続の意思に関わらず、社会が、会社が就労継続を認めないという。
私なんかよりもはるかに知性に満ちたこの方が、仕事を続けることが許されなかったのですよ。
もしも現在くらい女性の就労継続が当たり前だったなら、私の先輩ママかつ上司であったろう方ですよ。
近しいイメージ。
日本の労働者の質という観点から言うと、昨今の追い風でホイホイ復職している保育潤沢地のアッパラパーなんぞが正社員をやっているよりも、もう少し上の世代の優れた世代を一定数引きとめておいた方が絶対に良かったはずなのです。
この話は、これから始まる2020年待機児童ゼロという目標にも直結します。
目下、保育激戦地(世田谷区とか)で、知性にあふれた優秀な女性労働者が保育園に入れなかったとして、育休の終焉をむかえたら…
そう、失職なのですよ。
それが、わずか2~3年という差で、誰でも保育園に入れるような時代に変わろうとしているのです。
当然、この国は救済措置をくれるほど気前良くはありません。
これでは、保育激戦地の育休が切れそうな優秀女性労働者に対して、あまりにシビアすぎる。
就職氷河期と言われた時代もそうですが、時代の流れというのは実に残酷なものです。
これらのことはしばしば「自己責任」と位置付けられますが、なんにしても一定の数が切り落とされる社会の中で、その切り落とされる人数の変動があまりにも大きい。
そして、一般的に敗者復活戦は設定されないのです。
保育園や障害児の就学に関する問題は、
「当事者が、大変であった一時期を乗り越えてしまうとあとは無関心になる。
継続した取組みになりにくい」
としばしば言われます。
でも、それではいけない。
運よく生き残り、いまこうして保育園に子どもたちを通わせているワーキングマザーがいる一方で、キャリアを断念せざるを得なかった優秀な女性たちがたくさんいるのです。
キャリアを断念せざるを得なかった女性たちは、まだまだ労働者たる年代です。
これもまた、現在進行形の「格差」であることをひしひしと感じます。
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