「2018年上半期」を振り返って思ったこと。
私、心、狭い。とても(笑)。
世の不寛容さについて、よく言われております。
世間が子どもに対して冷たいとか、
母親に対して冷たいとか。
この世の不寛容さって、なんか姑(しゅうとめ)っぽいよね。
あと、宗教。
実際に子を持つ母として生きていて、そう思います。
不寛容に姑と宗教が入っている。
全てを批判する姑と、排他的な宗教の考え方。
私も心がだいぶ狭いので、気をつけないといけないんですけどね~。
よく夫から、
「お前はしっかりしすぎていて、生きづらさを感じる」
と言われます(苦笑)。
いや、だってさ、子どもがいるのに変なことできないじゃん。
子どもに規則正しい生活を求め、ルールを順守させたいと思うなら、親がちゃんとしてないでどーする。
裏を返して、「親だってダラダラしたい」と思うんだったら、「子どものダラダラ」を許さないと、それはズルですよ。
「"ママ"も"子ども"もダラダラしちゃダメ。
でもパパはダラダラしてもいい!」
なんて、お前が一番ダメに決まってんだろ。
アホか。
それは置いといたとして。
世の不寛容さって、どこまでを不寛容とし、どこまでをモラルやマナーの範囲とすべきかなんて、きっちりした境界はナイですよねー。
私は前述のとおり心が狭いので、「お車でのご来場はおやめください」に「車で乗り付ける人」は、どうかなーって思うのですよ。
どこの保育園もそうだと思いますが、駐車場って、あっても台数が限られてるのですよ。
なので、保育園の行事(懇談会とか参観の日)には、「お車でのご来場はおやめください」という事前アナウンスがあります。
台数枠も足りないし、行事と関係なくお迎えに来ただけの保護者の車すらとめられなくなっちゃいますから。
もちろんコレ、「やんどこなき事情アリ」という人は、相談できるんですよ。
保育園には、杖を使ってる保護者や妊婦さんもいますし。
それでも、やんどこなき事情など特にないけど「面倒だから」という理由で駐車場を占有しちゃう保護者が、毎回いるんですよねー。
ちなみにこちらのお車でお越しの方でーす。
私は心が狭いので、
「へー、
歩いてしばらくしたところにコインパーキングありますけど。
バス停ありますけど。
呼べばタクシーきますけど」
と思ってしまいます。
こういうのはたいてい、
「あー、ハイハイ、今回もあの人ね!」
となってきて、
「へ~、よ~く観察したけど、健常者だね」
「へ~、あっちの緊急性高い人を差し置いて、駐車しちゃうんだ。へ~」
って、なるのですけれど。
私にとっては、「やんどこなき事情なし」に「他の緊急性の高い人を差し置いて」、「保育園行事へ車で乗り付ける」のは、「ナシ」です。
個人的には、サーファーくずれの丸出しタトゥーなんかよりも、もっと気になる事項。
この私の態度は、不寛容に代表される心の狭いものですが、改めるつもりはありません。
「寛容であれ」というなら、別のところで努力します。
フゥ~、姑スピリッツ!
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今週のお題「2018年上半期」