ずっと心に残っている言葉
あるとき、ムサビの御学友から
「何者かになりたくて、何者にもなれなかった」
というフレーズの含まれたつぶやきをいただきました。
何者か、何者でもないか。
「俺か、俺以外か」まで来るとホスト界の帝王・ローランド
ですが、
「何者かになりたくて、何者にもなれなかった」
というと、より現代における深刻度が増してきます。
教えてくれ 君は誰だ どこから来て そしてどこへ
「特捜ロボ ジャンパーソン」
作詞:山川啓介
作曲:浜圭介
何者にもなれなかった40代?
そもそも何者って、何でしょう。
わかりやすくたとえて、世間に発揮する能力みたいなものを5段階評価にすると、「5」の評点が付く人はスゴイ人になります。
そうすると、8割の人間が何者でもないわけで。
総合評価にする必要はなくて、ジャンル分けをしていっても、5段階中「5」は2割しかいなくて、8割の人間が何者でもないわけで。
んでもって、たいていその上位2割をかっさらっていくのは、恵まれた教育や才などを持ちし、上流階級の人たちです。
できる人は、いろーんなことができる。
頭が良くていい学校を卒業して、ルックスが良くて恋愛要素に恵まれて、仕事ができて給料も高い。
一方で凡人は、なにをやっても平凡だったりする。
そんな中で「何者にもなれなかった40代」的なタイトルの記事を拝見しました。
普通に考えると、「いい評価」というのは上記の通り「何事もできちゃう上流の人々」がほとんど持って行ってしまうので、凡人だったら仕方がないと思うんですよね。
そこがなぜか「負け犬中年男性」的な内容で綴られていまして、どうしてこうして、あえてそうなるのか。
「凡人なりにエンジョイして生きています」とならないのが、闇の深さです。
そもそも大人になってからの専門性なんて、プロ同士のしのぎの削り合い
人生の大部分を占めるであろう仕事って、それをやっている人以外は参加すらしないジャンルなわけですわ。
仕事の内容について会話してても、「プロと言われるほどじゃないんだけどな」とか思っちゃったり、しますでしょ?
ところがどっこい、我々社会人がイヤイヤながらにやらされてきた仕事の数々というものは、実のところハイレベルなスキルだったりするのです。
「Excelなんて誰でも使える」と思うことすら、Excelを使う人以外は参加すらしないジャンルなわけですわ。
世の中にはExcelを使わない人だっていますよ。
そういう方から見ると、ホントにコピー&ペーストをショートカットキーでやっただけで畏怖されるという。
ただ、ExcelなどのMOSはレッドオーシャンで、しかも人付き合いって会社の中なので、実感を得にくい。
それだけです。
Excel以外のことも、そう。
ジャンル外の人から見たら、実はすごかったりするんですってば。
「何者かになる」というのは、単純に「すごい!」と言われた回数なのかもしれない
私は私で、凡人なりにエンジョイして生きています。
なんでだろうと考えた時に、
「会社以外に友だちがいて、みんなが褒めてくれたからかもな」
と思い当たりました。
その逆で、会社で、仕事と関係ないことをいっぱい褒められたりとか。
ええ、すごくないことも、「すごい!」ってほめてもらったのです。各所で、いっぱい。
実力が伴っている・いないに関わらず、単純に「すごい!」と言われた回数が、多い。
子育てハッピーアドバイスかよ!って感じですが。
こういうことが、人生の充実感に大きく影響していると実感しています。
人に恵まれたなー、と、しみじみです。