私は、もし子どもが男の子だったら「典明(ノリアキ)」という名前にしようと思っておりました。
この典明という名前は、少年マンガの登場人物に由来するものです。
(主人公の友達)
作中で典明くんは、「普通の人には、自分のスタンド(守護霊的なもの)が見えない」ということについて悩み、親やクラスメイトとの付き合いがぎこちないものになっていました。
でもさー、これって我々にもあり得ることではないですか。
ある日、子どもが「○○が見える」的なことを言い出したら、のまじめな話です。
レビー小体型認知症って、わかります?
いくつかある認知症の種類の中で、幻覚が見えるタイプのものです。
レビー小体型認知症の人から、「小人がコタツの上を走っている!」と言われたら、それは私たちには見えないけれど、当該ご本人には本当に見えているのです。
(小人の例は、NHKの番組で認知症のじいちゃん本人がそう言っていた)
そこで、我々が
「小人なんて走ってないよ!うそつき!!」
っていうのは、よくない対応だってのは、察せますよね。
こういうときのベストな対応が何かはともかく、本人にたしかに見えているものを全否定するのは、やっぱよくないんじゃないのかね。
んでまた、幻覚が見える病気は、レビー小体型認知症だけではありません。
幻覚とはまた違いますが、飛蚊症だって本人には蚊のようなものが見えていますし、片頭痛による光の点滅だって本人にしか見えていません。
常人だって、フラッシュをたかれれば視界が奪われます。
病気以外でもありますわな。
アフリカから来た視力5.0の少年に
「あそこに鳥がいるよ」
とはるか遠くを指さされたって、たぶん多くの日本人にはわからない。
しかもこの場合は、見えないほうが劣っていてよろしくないです(笑)。
なので、子どもが「○○が見える」的なことを言い出したときには、自分に見えていないものだからといって、全否定するのはナンセンス。
病気で幻覚が見えていたとしても、人知を超える何かがあったとしても、まじめに話を聞いてあげなくてはなりません。
本人は至って真剣だというなら。
親や親戚がレビー小体型認知症になって、
「小人がコタツの上を走っている!」
と言われた時にもまた然り。
「そんなものはいない!」と憤るよりも、「レビー小体だから、そうなんだよなあ」と達観したほうが、うまく付き合えそうな気がします。
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