まずはこちらの画像をご覧ください
フリー素材のサイトで提供されている、プロレスラーのイラストです。
先日、
「AI絵師から、”ありえないほどに露出の高い女の子がパンツを見せている画像”を押し売りされて不快だ」
的なことを書きました。
世の中にそういう需要があるということはわかりますが、私に送ってこないでほしい。
そういう気持ちです。
駄菓子菓子。
私が今回例に挙げてしまった画像も、街なかではちょっとありえないほどに露出が高いですし、ついでにいうと暴力シーンです。
しかしながら、この画像は「プロレス技の説明」として良い作品だと感じます。
男性2人も、色が違ってわかりやすい。
私はこのイラストを好意的に受け止めています。
特別お題「わたしがブログを書く理由」
キン肉マンをセーフとするのは、ジェンダー差別?
私め、日曜日にアニメのキン肉マンを見て育った世代です。
なので、今でも超人レスラーがとても好きなのですが……
このマンガ、フラットな視線で眺めてみると、パンツ丸出しの方が多いことに気付かされます。
隠れていて見えにくいですが、下から2番目に描かれているテリーさんなどは、布地が一番少なくなっています。
日本の国技である相撲もまた、露出が高い。
もちろん、プロレスや相撲という格闘技のユニフォームではあるのです。
が、肌の露出が極めて高い。
なので、ユニフォームであっても、下着と同レンジにあるのではないでしょうか。
湘南・茅ヶ崎といえども、この格好ではスーパーマーケットに行けません。
それでも、令和5年の日本においてはキン肉マンが肯定される理由があると感じています。
安全ポスターのイメージキャラクターに採用されていたら、どう思うか
さて問題。
「キン肉マンの超人はセーフのくせに、女の子のパンツはNG」ということがジェンダー差別か否かです。
テリーが「線路に入ったら危ないよ」という安全ポスターに出ていたら?
私はやっぱり、いいんじゃないの、と思ってしまうのです。
そして、違和感もない。
原作のストーリーを知っている人ならなおのこと、「線路に入ったらいけないよ」というテリーの優しさがわかるはずです。
同じように「線路に入ったら危ないよ」と、ありえないほどに露出の高い女の子がパンツを見せながら言っていたとしたら……
よしんば、その女の子キャラクターが、原作漫画の中で新幹線に轢かれそうなっている子犬を助けていたとしても、やっぱり女の子の露出パンツは勘弁願いたいのです。
なぜならば、当事者が主体的に描かれていないと感じるから
キン肉マンのテリーは、
「超人でプロレスラー。
強い、かっこいい、ヒーロー的存在」
という肯定的かつ主体的なメッセージを込めて世に送りだしていることが、伝わってきます。
一方で、ありえないほどに露出の高くてパンツが見えている女子というのは、どうでしょうか。
ちっとも主体的じゃない。
よその男性が願望で勝手に作った女子の偶像です。
主体的に描かれた女性というものは、パンツが見える瞬間があったとしても、そういう見せ方はしないのです。通常。
見る側はこの主体性の無さを、違和感というパッと見の印象で判断します。
(主体的でないという例には他にもあります。
「高齢者を馬鹿にしている」とか「子供の人権がないがしろになっている」、「外国人差別だ」等々)
サザエさんのワカメちゃん?
それについては、1946年に始まったマンガという時代考証からはじめないとなりませんので、今回フォーカス外で。
特別お題「わたしがブログを書く理由」