本来、庶民が素敵な家に住んではいけないのではなかろうか
庶民が素敵な家(戸建てやマンション)に住みはじめたのは、わりと最近のことなんだろうなと思います。
昔って、いわゆる本家という大きな家に住んでいる人と、小さくて素敵じゃない家に住んでいる人とで明暗が分かれていたイメージがあり。
そういえば、戦後に家長制度の時代が終わるまでは、基本、長男以外は親の資産を相続できませんでした。
その後も、しばらくは古い考えの人達が生き残っていましたので、資産貧富の明暗がくっきりしていたのではないかと。
大きくて立派な家は、相続で小さな分譲地になる
茅ヶ崎に限ったことではないと思いますが、田畑や大きな家が、次々と相続で小さくてたくさんの分譲地に変わっています。
遺産を平等に受け継いでいったら、そりゃまあ少なくなりますね。
今となっては貴重な田畑や、大きくて立派な趣がある家が消えていくと寂しい気持ちにはなります。
駄菓子菓子。
田畑や大きな家が、小さくてたくさんの分譲地に変わることを非難するのはどうかなと。
庶民が素敵な家に住みたいという「罪」を背負っている事実を忘れてはいけないと思いました。
裕福に暮らそうとするのは誰にも責められないと思う
今週のお題「大移動」
ゴールデンカムイという明治時代の北海道を舞台としたマンガには、広大な北の大地で森林が伐採されていく様子が描かれています。
自然の原生林がなくなっていく様子を見て主人公は、悲しくやるせないような気持ちになっていました。
しかしそこで、現地に住まうアイヌの少女(アシㇼパさん)がこう言ったのです。
裕福に暮らそうとするのは誰にも責められないと思う | ゴールデンカムイ第242話
重いぜ……。
広大な北の大地で森林が伐採されていくのに比べたら、茅ヶ崎の豪農屋敷が解体されることなんて小さいことですが、つい重ねてしまう。
でも、日本は「耐震」を意識しなければ文字通り生き残れません
古き良きが破壊されていくのはやるせないですが、古い家屋は危険というのも事実。
致し方ありません。
そう、ここは日本。
ざっくりいっても、1981年(昭和56年)6月以降か、さらに安全をみるなら2000年6月以降の家屋でないと、安全には住めない地震大国ゆえ。
古くて良いものを大切にしたいけれど、家屋はダメかもしれない。