「賞を取れるものと自分が気に入ったものは違う」について、親はどこまで責任を持つべきか悩む
小学生の娘が、書をしたためました。
夏休みの宿題で。
「たくさん書いて、一番いいものを提出しよう」としてスタートしたのですが……
数ある作品の中から、娘が自分で「いい!」と思って選んだお習字の半紙1枚ペロリンチョ。
うーん。
「入賞を狙うなら、他のやつがいいんじゃないの?」というものだったのですよ。
手駒の中で、賞を取れる作品と、自分が気に入る作品が、違う。
たとえば、パッと見た全体のバランスって、勝負の第一ポイントになりますよね。
これが、文字の細部よりも重視されたりして。
駄菓子菓子、本人がヨシと思うポイントは、それとは無関係。
「高得点がいちばん嬉しい」というように、高く評価されることが自分にとっても優先順位の高いことならばいいのですが、うちの子はそうではないのです。
とにかく、自由を得たがるのですよね。
「フランス国民か、君は」というくらいに。
得意は自分じゃわからないので、第三者から指摘してもらえるといいのですがそんな都合のいい人はいません
本当は習い事の先生などの第三者から、得意や長所といったgoodポイントを指摘してもらえるといいのですが、そう都合よくはいかないもので。
仕方がないので家庭内で折り合いをつけることになるのですが、「好きなのにするといいよ」で終了しがちです。
今後もそれでいいのか?……というのが疑問。
好きなことをやらせるのが正義かというと、それは違うんじゃないかと
好きだしうまい、これは文句なしです。
仕事でいうなら「天職」というやつですね。
駄菓子菓子、世の中そんなに甘くないのです。
多くの人間が、
- 好きだがヘタな、下手の横好き
- できるけど嫌いで、つのるストレス
- 嫌いな上に向いてなくて、絶望
で構成された人生を歩んでいるのですよ。
単純に割ったって、好きでうまいものなんてたったの25%です。
のこり75%はしんどい成分が占めるもんなのですよ。仕方ない。
んでもって、嫌いなこと・ヘタなこともまんべんなくこなすことが、日本社会では求められています。
学校教育とか、そのまんま。
「好き・得意を伸ばそう!」とかおっしゃる方もいますが、少なくとも公立高校の入試でそんなきれいごとは通じないですよね……。
だって、100点満点が取れる教科をそれ以上勉強したって、150点や200点はもらえないんですから。
あれは、「ヘタだろうが嫌いだろうが、まんべんなくいい点数を取れ」という世界です。
今週のお題「これって私の地元だけですか」
どっちかというと、「好き・得意」は放っておいてよくて、
- 好きだけどヘタなものについて、うまくなるように指導すること
- うまいけど嫌いなものについて、ストレスを減らすこと
- 嫌いな上に向いてないものでも、なんとかせにゃならん
ということになるんじゃないでしょうか。
少なくとも、数年以内に公立高校の入試内容がガラッと変わることはないのですから。