子どもがいると、
「○○ちゃんは○○ができてすごいわね~」
って話題になることがあるじゃないですか。
アレけっこう、複雑な心境になるんですよ。
たとえば、
「3歳なのにひらがなの本を自分で音読できるなんて、すごいわね~」
とか。
この「すごいわね~」については、言われている瞬間はどうでもいいんです。きっと。
問題は「すごい」とほめそやされていた人間が、「すごくない」に転落した時の気の持ちよう。
「すごい」と言われていた子どもが、のちに「すごくない」人間に成長したら…
ヨシタケシンスケ先生の本(ヨチヨチ父 とまどう日々 [ ヨシタケシンスケ ])にも書いてあったけど、「すごい」を経験した後、「すごくない」という結果に落ち着いた人は、
「こんなハズではない!」
という、憎悪がメラメラと焔たつんですよ。
そして、他人から見るとほんとに意味の分からないねたみ・そねみ・ひがみを飛ばしてくる。
それはもう、我々凡人がVERYを見てゲラゲラ笑っているのとは桁違いです。
我々はゲラゲラ笑ってますけど、「こんなハズではない!」と憤っている人たちは真剣(マジ)ですからね。
みなさんの身の回りにも、さまざまな具体例があるとお察しいたします。
成人してまで「小学生の時に模試で○位だった」と言い続ける人。
無職の中年になっても「自分は有名学校出身なんだ」と言い続ける人。
一瞬でも付いた肩書きがあり、それを失ってなお「俺は○○だったんだ」と言い続ける人。
人としてどうか?
ええ、私は好きではありませんし、多くの人が良い印象を持たないと思いますね。
なので、子どもたちに「すごい!」と褒めそやされる時期があったとしても、その後「すごくない」→「すごくないとしても、それはそれで良い」くらいの平常心を保ってほしいです。
あーんど。
やらんように注意しないといけないなーと気にしているのは、「子どものすごい」に「親がのめりこみすぎてしまうこと」です。
そうそう、「たくの○○ちゃまはスゴイんざます!」状態にならないように。
加えて、将来的にすごさが失われたときになって、「小さいころはあんなに○○だったのに!」と、子どもの人生を否定するようなことは言いたくないものです。
駄菓子菓子、わりとフツーにいるんですよね、この手の親って。
自分が子どもだったころにもそういう親御さんはいましたし、今もやっぱり見かけます。
「子どもに、極限までのめりこみたい!
将来的に子どもの人生を否定したい!」
なんて方針で子育てをしている人なんかいないと思うんですけどねぇ…。
そういう親だって、そういう親になりたくてなったわけではないと推察いたします。
何かが彼・彼女たちを狂わせたんじゃないかと、部外者の私は勝手に現代社会の闇だと思っております。(´Д`)
私も気をつけます。
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